先日のゴールデンウィークの2012年5月5日(土)~6日(日)の2日間、東日本大震災で被災した宮城県に家族で旅行に行きました。
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第18共徳丸 第十八共徳丸 宮城県 気仙沼 東日本大震災 画像 写真
第十八共徳丸を見学した次は、「奇跡の一本松(きせきのいっぽんまつ)」で有名な岩手県陸前高田市の「高田松原」に向かいました。
以下の「奇跡の一本松」周辺の写真は、いずれも2012年5月5日(土)に撮影した写真です。
奇跡の一本松 写真 画像
上の写真は、当ブログ管理人が撮った「奇跡の一本松」の写真です。
当ブログ管理人は、奇跡の一本松を目の前で見学したので、写真は望遠を使わず撮っています。
奇跡の一本松の高さは約30メートルで第18共徳丸の全長の半分位の高さです。保護に取り組む日本緑化センターによると樹齢約270年だそうです。
「奇跡の一本松」は、日本百景に数えられた名勝「高田松原」に、約2キロに渡って生えていた約七万本の松うち、たった一本津波に耐えて生き残った松として有名です。
約40メートル海寄りに建っていた「陸前高田ユースホステル」(奇跡の一本松の後ろの建物)が盾となって津波の直撃を免れた事や、過去の大津波で幹の上部以外の枝がもぎ取られた事で、東日本大震災による津波で流されなかった様です。
奇跡の一本松は、「希望の松」、「希望の一本松」、「ど根性松」とも呼ばれていて、東日本大震災の復興のシンボルとなっています。
奇跡の一本松 枯れる?
奇跡の一本松は、塩分を含んだ地下水で根が腐るなどして衰弱が進んでいて、日本緑化センターによると「根が傷んで養分を吸い上げる力を失い、現時点では手の打ちようが無い」との事です。
現在、住友林業や森林総合研究所によるクローン技術を使った再生や接ぎ木による保存など、様々な取り組みが県内で続けられています。
奇跡の一本松 周辺
奇跡の一本松の数百メートル手前の写真です。入口には花が添えられていて、ここで亡くなられた方が居た様です(´;ω;`)
立ち入り禁止の看板は有るものの、周囲には柵やKEEP OUT(立ち入り禁止)のロープ等は無いので、当ブログ管理人や他の見学者は、ここから歩いて奇跡の一本松に向かいました。
奇跡の一本松に向かって進むと、途中で右手に大量の材木の残骸が見えてきます。いずれも長方形に加工して有るので、高田松原の松では無く、木造住宅の残骸の様です。
さらに進むと、男性、女性物のジャンパー、ジャージなどの大量の服が一か所に集められて落ちています。震災当日は寒かったのか厚手の服が多いです。
新聞やテレビでは「奇跡の一本松」が前面に出るので周囲のシーンは出ませんが、現場での犠牲者の多さを物語っています。
「ドラえもん」の縫いぐるみ(´;ω;`)
服の山の近くには、下半身が千切れ無残な状態となった「ドラえもん」の縫いぐるみ(写真上)が落ちていました。
この縫いぐるみだけは何故か服と一緒に纏められる事無く、1体ポツンと落ちています。
多くの方が、この縫いぐるみの様に津波に巻き込まれて亡くなられたかと思うと、津波の恐ろしさを改めて思い知らされます。
新聞やテレビで「奇跡の一本松」を見ていた当ブログ管理人は「津波によく耐えた、あっぱれ!」という感想しか思い浮かびませんでした。
しかし、実際に現場に行き瓦礫を見ると、そこには大勢の方が亡くなった生々しい爪跡が今でも残っています(´;ω;`)ブワッ
奇跡の一本松 地図 場所 位置 所在地 住所
「陸前高田 一本松 行き方」ですが、奇跡の一本松が立っている場所は上の地図の下の「奇跡の一本松」で、住所は「岩手県陸前高田市気仙町字砂盛176-6」です。倒壊した陸前高田ユースホステルのすぐ近くに有ります。
一部の観光の情報サイトなどでは、奇跡の一本松の所在地が高田松原の中央になっていますが、実際は高田松原の端に立っています。
奇跡の一本松 電車での行き方
奇跡の一本松へのアクセス(行き方)は、電車の場合、JR大船渡線(おおふなとせん) 陸前高田駅(りくぜんたかたえき)から徒歩20分なのですが、現在は東日本大震災による津波で駅舎・線路が消失しています(´;ω;`)ブワッ
奇跡の一本松 自動車での行き方
車で奇跡の一本松へ行く場合は「国道45号線 高田バイパス」を走っていれば海の方角に奇跡の一本松が見えるので近くまで行き、途中から徒歩で行くといいと思います。私は、この方法で奇跡の一本松の場所へ行き、見学しました。
2012年8月30日 追記
奇跡の一本松は、2012年9月12日(水)に切り倒され、来年の2013年3月11日までに元の場所に組み立て直すとの事です。
詳細はこちら → 奇跡の一本松 地図 行き方 場所 位置 所在地 住所 アクセス